幸せ家族計画

健康的な労働で、最大限の幸せを引き出すプロジェクト実行中。

私が28歳の冬に父は亡くなりました。
これで家族と呼べる人はいなくなったと思うと底知れぬ悲しみと孤独がこみ上げてきました。あまりのショックで父の死後、3ヶ月は記憶がありません。1年間はぼーっとしていたような気がします。 

 しかし、その間、あれよあれよという間に憧れていた業界で働くことが決まりました。自分の実績からすると上手く行き過ぎのような展開でした。これは父が天国から私を導いてくれてるのだな、そう思っていました。
 この会社で私の上司になった方が、とてもスケールの広い方で、バカボンのパパのようなユーモアがありながらも、軽々しい業界の風潮にも流されずに、でーんと構えているような方でした。はやり、上手く行き過ぎのような出会いでしたが、尊敬できる大人に巡り会えたのは幸運でした。その後、私が会社をやめるときも進退を心配してくださり新しい職場を紹介しようか、とも言ってくださりました。そのお話はお断りしたのですが、ここまで気にかけてくださったことに感謝しきれません。

もう1つ、夫の父、私の義理の父親となった方もとても温かい方です。
フリーランスとなったばかりで、仕事の先行き不透明な私に、「思いっきりやりなさい」と言ってくれました。私の活動に関心があり、面白そうだ、思いっきりやってごらん、そんな温かい気持ちが伝わってきました。自分の親には見せられなかった今の活動を、代わりに応援してくれる家族ができたことが嬉しかったです。

何が言いたいかというと、親が亡くなっても、温かく見守って応援してくれる人は現れるんだ、ということ。 血はつながっていない分、そういう方の存在や言葉は、深く心に染み込みます。自分は1人じゃないんだ、という温かい気持ちにさせてくれます。そして、この方々が困ったときには、駆けつけて力になってあげたい。自分の親にはできなかったことを、できる限りしてあげたい。(と思うのは出過ぎた好意かな。)

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人って変わるもんだな、と他人や自分を振り返っても思う。

自分のことだけを考えて生きてきた10〜20代。
欲望の追求の先に世界平和があると信じていた。(今もだけど。) 

たまたま付き合っていた人が1人で住めなくなり、その流れで結婚。
まな、なんてことでしょう!
いまでは2人家族という単位で生きている。

すると、生活の時間配分が変わる、
1人暮らしのときよりいい食事をとる、
1人で食べるより美味しく食べれる、
週末家で休める、
家が広くなる、
光熱費は下がる(2人で別々に一人暮らしするより)、
神様から思し召しがあれば、繁殖して家族を増やすこともできる。

なんでもっと早くにしなかったんだろう。
という訳で、2人単位の欲望の追求をめざすため、ブログタイトルを幸せ家族計画にしました。
(写真は関係ありません。)
 

Unknown
阿川佐和子さんの本にはまってます。

テレビで灰汁の強いのおじさま達を手なずけている印象が強かったけれど、
マイペースで、少なからず劣等感を持ち合わせたお方であるらしい。

 「どんな人間でも、社会と関わり、社会に貢献する能力を持っている 」スミソニアンの壁に刻まれている言葉は、ヨーゼフ・ボイスの「社会に関わる人は皆アーティストだ」という言葉に似ているな。
この言葉は、フリーで働く人の心を落ち着かせてくれる。

「また停滞してみたい」と阿川さん。
その言葉には余裕すら感じる。素敵な47歳なのだ。(この本を上梓された当時。)

http://www.amazon.co.jp/いつもひとりで-文春文庫-阿川-佐和子/dp/4167435144

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